孫姫をたずねて爺婆の東海道53次珍道中記

=東京の孫娘に会いたくて京都三条大橋からお江戸日本橋まで5年かけて歩いています=

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第21回「藤枝宿」→「岡部宿」→「丸子宿」

「孫姫たずねて爺婆の東海道53次珍道中」の二日目、
京都三条大橋を発って21日目は丸子宿(静岡市)まで歩きます
途中に宇津の峠越が待っていますf:id:yhyh1940:20181116200339j:plain

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腰の痛みは和らいでもリュックを背負って峠越えはきつい
荷物の多くは藤枝駅のロッカーへ預けて必要なものだけ入れた
リュックを相棒が背負って青木交差点を9時にスタートしました

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藤枝東高校をはじめ藤枝はサッカーどころ
道のタイルも駅の垂れ幕もサッカーの文字が目につきました
空はどんより曇り昨日よりも寒くて着れるだけ着ました

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今日は後半の宇津ノ谷峠越えがあり距離も昨日よりは長いので
史跡探しや寄り道はしないで腰への負担をできるだけ少なくして
ゆっくりペースで行くことにしました

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9年前の11月16日に歩いているので道もほとんどわかります
志太の一里塚から広瀬川を渡るころ体も温まり動き始めました
これなら峠までは大丈夫、そこから考えよう

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藤枝は今川氏の家臣が築城した田中城を
武田信玄に攻め落とされたがのちに徳川家康が8年もかけて攻略し
関ケ原の合戦後は酒井忠利が入場、松平氏、本田氏と続きました

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先々週の大河ドラマの女城主直虎の番組後の現在地紹介で
その田中城跡が紹介されていたのでここだけは寄り道することにして
前回、苦労して探し当てた城跡へ相棒を連れて行きました

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スローペースにつとめてマイカーのババ様に追い越されて参った!

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岡部宿の観光案内所到着目標は12時半、これを遅れると
後半の峠がやばい、ゴールの丸子宿、丁子屋に16時半としました

 

相棒が昨日の午後からずっとリュックを背負ってくれたので
こちらはぶらぶらウォーキングで救われました
これなら腰も最後まで頑張ってくれるはずです

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岡部に向かう緩やかな上りが始まる地点でしばらく休憩
前回も休憩したところでなつかしく記念写真を!
当時の屋号を付けた家々が続く街道に相棒の目はうろうろ

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岡部に入るときれいな松並木が続きます
五智如来像のある公園に到着したのが12時40分でほぼ予定時間
寒いので向かいのそば屋で食事しながらくつろいでいたら13時半に
なっていてあわてて午後のスタートをしました

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雰囲気のある細い街道の家々にはサッカーボールに模した
飾りがつるされていたさすがに藤枝のサッカーへのこだわりは
すごい、カープの広島と一緒だな

 

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小野小町が晩年に東国へ向かう途中に小川をのぞいて自分の姿を映し
老いの身を嘆き悲しんだという姿見の橋を渡っていたら
相棒がのぞいていた・・・どう思ったのやら、それは聞かない!

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コースは後半、いよいよ宇津ノ谷峠が近づいてきます

 

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道の反対を中年の女性が近づいてきたので声をかけました
横浜の人で今日は静岡から岡部に泊り、京都まで歩くといっていました
女性のひとり東海道はすごい、足取りが違うね

 

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道の駅で休憩、おやつと水分補給、やっぱりコーヒーが温まる
9年前、ここからうっかり別の道を行き困った苦い思い出がある

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前回同様に峠の登り口の延命地蔵に今度も頼みますとお参りして
今日の難関、宇津の峠を登り始めました
ここは最初に急な坂道が続くので急がないこと

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ここは腰が痛くても自分がリュックを背負うつもりだったが
相棒は大丈夫といってどんど登って行って離されてしまった
足取りもしっかりしていたので一安心

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それにしてもいつの間にあんなに歩けるようになったのやら
後ろから見ていても後期高齢者には見えません
京都を歩き始めたころとはまるで違うんです

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この宇津ノ峠は秀吉が小田原攻めをする時に大軍を通すために
峠に新しい道を通したのが東海道の始まりで他にも道はあります
距離も短くて世界遺産熊野古道の厳しさとは比較になりません

よくあの人(女性)はこんなところを通ってきたねと
さっき会った横浜の女性のことを相棒は感心していました
薄暗い峠道は男だって一人では淋しいに決まっています

下りは落ち葉に足を取られないように確かめながら
一気に下りていきました
馬頭観音に手を合わせて手峠越えを一段落しました

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宇津の集落は下りの坂道の両側に店や旅籠の跡が残ります
月曜日だったからか店も閉まっており人影もありませんでした
かってここ宇津村、ウツとは静岡の方言でけもの道のことで
ここには立場茶屋がある集落でにぎわったそうです

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途中に秀吉にゆかりのお羽織屋が開いていました
天翔18年(1580)小田原攻めに向かう秀吉がここに立ち寄り
馬の沓を所望したところ主は三足しか渡さなかったので
訳を聞くと四は縁起が悪い、残り一足はここに置き勝利を祈願しますと
答えると秀吉は気をよくして勝利した帰路羽織(鎧の上から羽織る胴服)を
与えたという。以降、参勤交代の諸大名も鑑賞に立ち寄ったという。

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宇津を出て道の駅でしばらく休憩、谷間で日が暮れてきた1号線を
いよいよ最終の丸子宿に向かいました
丸子には超有名なとろろ汁の丁子屋があります

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延々と続く1号線と横道を縫うように歩いて暗くなった丸子の
灯りのついた丁子屋が見えてきたときはほっとしましたね
相棒はかなり疲れていたと思います

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予定を40分遅れて17時10分到着
9年前は16時30分についていましたので写真で比べても
丁子屋の雰囲気がまるで違います

前回たべたもっとも一般的な(安い)メニューを注文しました
途中で羊羹やパンを休憩のたびに食べていたので
せっかくのとろろ汁もこのメニューでも多すぎましたf:id:yhyh1940:20181116202326j:plain

1時間のバスで藤枝に引き返し駅のロッカーで荷物を引き取り
静岡へ逆戻りするなど時間がかかりましたが無事に10時半に帰宅
さすがに疲れました

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これで3度目の東海道の秋を歩きました
次回は丸子から、予定は3月、4月、9月、一年後の11月には
4度目の秋を箱根越えで迎える予定です

「孫姫たずねて爺婆の東海道53次珍道中」はまだまだ続きます
2020年4月13日の80歳の誕生日に日本橋で孫に会いたい
その一念で明るく楽しく珍道中を続けます。

 

第20回「金谷宿」→「島田宿」→「藤枝宿」

日曜、月曜日の二日間、5年シリーズの夫婦イベントにしている
「孫姫たずねて爺婆の東海道53次珍道中」に行ってきました

予報で覚悟はしていましたが吹きさらしの東海道は寒すぎて
腰痛持ちには厳しくこれまでで一番しんどい二日間でした
それでもやっぱり歩くのは孫の笑顔を見たいからなんでしょう

5年計画で京都を出てから2年半、ほぼ予定通り進んできて
今回が20~21回目、今年はこれが最終回になりました
腰痛を思うと来春に延期を考えましたが決行してしまいました

前回の静岡県金谷宿(島田市)から島田宿(島田市)、藤枝宿(藤枝市)へ
二日目が藤枝宿(藤枝市)から岡部宿(藤枝市)、丸子宿(静岡市)まで
9年前の11月15~16日に歩いた時とまったく同じです

持ち物は最低限にして大半はゴールの藤枝駅のロッカーに預けて
リュックを一つに金谷駅をスタート、富士山がはっきり見ます
9年前は11月15日、初めて富士山が見えたのも金谷駅でした

金谷の宿場跡からSL人気でにぎわう大井川鉄道へ寄り道をして
富士山が隠れたら大変と大井川へ急ぎました
写真ではぼんやりしていますがきれいに見えました、サイコー!

“箱根八里は馬でも越せるが越すに越されぬ大井川”とうたわれた
かって街道一の暴れ川といわれて大井川の流れも穏やかです
島田側にある川会所には当時の遺跡の建物があります

大井川を渡るには川札(切符のようなもので人足を一人雇うために
札一枚が必要だった)を川会所で川越人足に手渡してから
人の肩や連台に乗って渡ったそうです

天竜川もそうでしたがなぜ橋をかけなかったのかという疑問・・
幕府が万一の時に西から攻め込まれるのを防止するためにも
川止めを一定の備えとしたのではないかと推測します

島田を過ぎてコース外になるが「蓬莱橋」へ寄った
ギネス認定の世界一長い木造歩道橋897.4mからの眺めが
9年前に訪れたとき素晴らしかったので相棒に見せたかったのですが
まっすぐに立っておられない強風、それも冷たくて
橋の半分行くのがやっとで写真どころではありませんでした
富士山にも雲がかかっていましたがそれでも相棒は喜んでいました

この辺りまできて腰痛が激しくてランさんの足が進まないのをみた
相棒がリュックを変わって背負ってくれることになりました
休憩を繰り返しながらやっと16時半に藤枝市青木交差点にゴール

9年前にとまったなつかしいレンガ色のホテルで仮眠休憩して
第二部は相棒の75歳の誕生日祝い兼後期高齢者入りを記念して
藤枝駅前の海鮮料理店でおいしい魚料理を堪能しました

合計152歳のニュー爺婆隊の東海道デビュー戦は
なんとか相棒に助けられてスタートしました
あすのことはあすの朝の状態を見て判断することにします。

まだ、行くつもり、懲りないね。


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第19回「掛川宿」→「日坂宿」→「金谷宿」

(続)東海道53次、二日目8日の記録
掛川宿から日坂宿を経由して金谷宿まで歩く予定だが
日坂と金谷の中間にある「小夜の中山峠」は
「箱根峠」、「鈴鹿峠」と並ぶ東海道の三大難所の一つ

果たして相棒があの急な坂道を歩けるやら・・・
自分の腰も完全ではないのでとりあえず日坂まで行こうと
遅めの10時に掛川駅をスタートした

掛川城に立ち寄ってから
前回苦戦した城下町特有の外敵の侵入を防ぐためにつくられた
新町の七曲りにチャレンジしたが記憶に残っていて難なく攻略

掛川を出ると日坂までは見所もなく足慣らしのつもりで歩いた
二人とも意外と歩けるので小夜の峠を行くことに決めた
12時、道端で赤飯の昼食、遠足気分で楽しい

時間を逆算して峠越えはゆっくり歩いても金谷まで行ける
どうしてもお参りしておきたかった事任八幡宮へ立ち寄った
ここで前回に買ったお守りはいまもカバンにつけてある

さあ、いよいよ日坂へ上っていく
宿場の雰囲気が残っていて各家にも昔の屋号がかかっている
いまは門だけが残っている本陣を後にしていよいよ峠へ

ここにきて意外な展開が始まった
急な坂を休憩しながらゆっくり上っていくのだが
常に先を行ったのが心配していた相棒だった

いつの間にそんなに歩けるようになったのか?
こちらの歩力が落ちたのかもしれないが新発見
恐れ入りました!

芭蕉西行も歩いて詠んだ句碑のある峠道は文学路みたい

峠の道の両側は茶畑が続く
曇り空でいい写真にならなかったが景色はすばらしい
作業中の老夫婦としばらく話しこんだ
80歳は超えているはず・・・今年最後の四番茶摘みとか

唯一残っている峠の茶屋を過ぎると
行基が開基した久延寺についた
掛川城主だった山内一豊関ヶ原に向かう徳川家康
茶の接待をしたとか、接待茶屋跡がある

ここから今度は菊川をめざして急な下りが始まる
ころがり落ちるという言葉がぴったりで膝に堪える
地元のご婦人に話しかけたらお茶の話を聞かせてくれた

しばらく下っていたらそのご婦人が車で通りかかって
柿を二つ差し入れしてくれた
うれしかったね!

下り終えるとこんどは菊川の石畳の上りが始まる
これが歩きにくいうえに腰に響くので最悪
滑らないように、転ばないように

上り終えてしばらく行くと今度は金谷の石畳が待っている
相棒が石を踏み外して骨折でもしたら大変
下り終えるまでひやひやの連続だった

とにかく無事に難所の小夜の中山峠を通り終えて
最初の計画通り金谷駅にゴールしてほっとした
二人ともさほどのダメージもなくて元気!

二日目の歩数  36,783歩
二日間の合計 約78,000歩

2015年4月に5年かけて孫姫の待つ江戸へ京を旅たって
半分の2年6ヶ月が過ぎて歩いた宿場も半分になった
残りの宿場が26でそれを後半の2年6ヶ月かけて歩く
いまのところ予定通りで爺婆隊の珍道中はまだまだ続く。

今日が爺婆隊151歳の最後のウォーキングになった
次回は152歳の新爺婆隊で再び東海道にデビューする。

*わが相棒が元気に歩いている姿を写真で初めて紹介しました。
東海道を京都から歩き始めてからも、まさか、お茶の静岡まで
歩いてくるとは想像もしていませんでしたので驚いています。
これも健康になりたいという思いが強かったからだと思います。
来月には後期高齢者になる相棒ですが日常の生活の中で意識して
歩いてきたことがここまで歩かせたと思います。
歩くことは万人に効く長寿薬です。
日々、少しずつでも歩くことを心がけて健康長寿を目指しましょう。
私たちは生きている限り日本橋をめざして歩き続けます。

 

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第18回「見付宿」→「袋井宿」→「掛川宿」

8日、9日の二日間、4ケ月ぶりに東海道53次を歩いた
このところの気温の変化で腰痛の不安を抱えていったが
二日間、計画した通りの東海道を無事に歩くことができた

8日、前回ゴールの静岡県磐田駅からスタートした
磐田から東海道のど真ん中27番の宿場、袋井を経て掛川まで
9年前の2008年9月7日にひとりで歩い街道を今度は相棒と歩く

駅前でジュピロ磐田のマスコットのジュピロ君が迎えてくれた
朝早くから通りはお祭りの準備でただならぬ雰囲気に面食らう
この祭りは、袋井、ゴールの掛川まで延々と続いて驚いた

最初に遠江の守護神だった府八幡宮にお参りをして
かって遠江国分寺があった跡地を訪ねてみた
その時と現在の写真を並べてみると9年の歳月を感ずるね

見付宿の中でも目立つのが日本最古の木造洋擬風の旧見付学校、
急な坂道を上り東海随一の学問の神様、矢奈比売神社へもお参りした
立ち止まって案内板を見ている中年の男性がいたので声をかけた

東海道を歩いている人は雰囲気でわかるんだ
会社の休みを利用して京都三条大橋を目指しているという東京の人で
それもランニング、今年中にゴールしたいと言っていた

前回に苦労した阿多古山一里塚も覚えていて難なく攻略した
次の目的地の袋井宿までの道は覚えているので心配ないが朝から暑い
祭りの続く街道を歩いて大河ドラマでも出てきた古戦場の三ケ野へ

三ケ野については説明板の写真があるので見ていただきたい
真昼のかんかん照りの中を一号線に沿って磐田市から袋井市
家康が腰かけたという腰かけ石のある木原古戦場跡でひと休みした

第27番の袋井宿は日本橋からも三条大橋からもちょうど真ん中
学校まで日本の真ん中の小学校と売り出しているんだからすごい
東海道どまん中茶屋では9年前に一緒に写真を撮った茶屋の男性の
一人が亡くなっていたことを聞いた

茶屋を出ると曇ってきてに前回少し先の松並木で夕立に遭ったことを
思い出してやな予感がしたがい雨にはならなかった
袋井はいたるところに松並木があって歩くのにはいいところだと思う

4時を回ると日が傾き薄暗くなって祭り囃子が余計に耳にしみわたる
掛川の町に入るとさらに祭りはヒートアップして主な通りは通行止めだ
市内の繁華街、掛川駅前の通りは屋台が出て人でも驚くほど多かった

掛川に入るころから腰痛と左足に力が入らなくてスローウォークでがまん
せっかくだから祭りを楽しんで食事もしたかったが浜松のホテルへ急いだ
9日のことは予約したホテルで朝の様子をみることにした。

孫姫訪ねて爺婆の東海道53次珍道中
合計151歳最後の歩き記は明日に

今日の歩数 41,615

 

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第17回「浜松宿」→「見付宿」

二日目、浜松(宿)から磐田市(見付宿)へ向かいました
ここは9年前の7月に暑さで大苦戦した区間で気合が入りました
水と遭難用も含めて食料もしっかり調達していざ街道へ

朝から雲ひとつない夏空の下で楽しみは天竜川を渡ること
東海道でもっともスケールの大きい川が天竜
車窓からも雄大ですがそばに行くとさらに大きさにびっくりします。

川を渡るとそこは磐田市でここも前回は雨にふられ道に迷い
大変苦労したところですがそれもクリアして予定より早く
ゴールの磐田にたどり着きました。
歩数は約32000歩、二日間で約73000歩、よく歩いた!すごい!

5年かけて2020年のオリンピックの年、80歳の誕生日に
孫姫の待つお江戸日本橋へゴールするのが目標で
ちょうど前半が終わったところ、予定した通りのペースで
歩いています。

早くてもダメ、遅くてもダメ、だんだんと大阪から遠くなります。
相棒がよく頑張っているのに驚きます。
ゴールが早いか命つきるのが早いか、闘いが続きます。