■
第26回「吉原宿」→「原宿」
(孫を訪ねて東海道53次を行く-2018.10.15)
由比宿から三島宿まで三日間の二日目(吉原→原)の記録です
宿泊先のJR静岡駅から昨日のゴールで今日のスタートになる
曇り空で雨も降りそうな東海道の二日目も楽しく歩きたい
富士駅から吉原宿の中心部までは約約5kmあります
9年前には資料らしきものがなくて迷い続けて歩いた道です
一里塚碑を通過、リュックを背負った相棒が元気よく歩きます
さすがに富士山の麓、小川も水量が豊富で流れも速くきれいです
富士山の方向に目をやりながらすすみましたが雲に隠れていました
それに気をとられているうちに記憶にないところを歩いていました
ついたときは予定より30分以上も遅れていました
和田川にかかる平家越え橋を渡ると平家越しの碑がありました
源平富士川の合戦の際、ここに陣をはった平家が水鳥の羽音に
源氏の襲来と間違えて西へ潰走したというところ
このあたりが名勝左富士、街道の左手に富士山が見えるところ
から「左富士」といわれていますが雲がかかって見えませんで
した
吉原宿の標識のある小さな公園で弁当の昼食をすませて出発
新幹線を越えると製紙工場の煙突が目立つてきました
吉原は製紙の町なんです
小雨の続く踏切で東海道の標識をひとつ見つけた相棒が
このあたりは東海道の案内板がまったくないね・・その通り
9年前に訪れた時、ここで旅の無事を祈ってお守りを買ったところです
このあたりから今日の目的地の原宿へはほぼまっすぐな道が続きます
リュックはずっと相棒がせおってくれているので私ランさんは手ぶら
延々と続くまっすぐな道は東海道の中でもここが一番かもしれません
JR東海道線はすぐ近くを並行して走っています
海側には松並木が続き駿河湾です
ところがコンビニはおろか店さえありません
もちろんトイレもありません
休憩する場所もありません
9年前に休憩した立圓寺を目指してやっと到着
当時は6月でしたが雪の富士山が見えたお寺です
今日も期待したのですが富士山はまったく見えませんでした
境内の隅っこでおやつと水分補給の休憩をしていたら
赤ん坊を連れた若い女性が近づいてきて
お疲れなら本堂でお休みくださいと声をかけてくれました
どうやらお寺の若奥様らしく心配してくれたんです
こちらは後期高齢者153歳の爺婆ですから
しばらく話しましたが優しい素敵な女性でした
JR東田子の浦駅から民家の屋根越しに富士山が少し見えました
これが今日見た最後の富士山になりました
少し進んで田子の浦海岸へ出てみました
9年前と同じ場所でしたが松林は台風の影響か荒れていました
さすがに相棒の足も重くなってきたのか速度が落ちてきました
昨日の午後からずっとリュックを背負ってきたので疲れていたのです
決して弱音を吐かない性格ですがよくわかるんです
ようやく今日のゴールJR原駅に着きました
相棒が民家と間違えるほど民家っぽい駅なんです
9年前はまだここから沼津を通過し三島まで歩きました
やっぱり歩力が格段と落ちていることを確認しました
静岡駅に戻り今日の完歩祝は焼肉!
ネットで調べた静岡で人気の焼き肉店で思いきり食べました
元気復活で夜の静岡の町へウオーキングの二次会にでかけました
城の周辺をランニングしている男女が多くて驚きました
ここでもランニング熱のすごさを知らされました
かくして二日目も楽しく頑張って無事に過ごすことができました
部屋に戻って歩数を確認したら4万歩を越えていたのにびっくり
明日の3日目は予定通り三島まで行くか切り上げて帰阪するか
起床した時の体調で決めることにして二日目は早く休みました
そのときは夜中に異変がおきようとは知らずに・・・・。
■
第25回「由比宿」→「蒲原宿」→「吉原宿」
(孫を訪ねて東海道53次を行く-2018.10.14)
4月以来半年ぶりに東海道に戻ってきました
概略は17日の投稿通りですが少し写真を加えて
三日間あるいた秋の東海道をご紹介いたします
(一日目-2018.10.14)
「由比宿」から「蒲原宿」そして「吉原宿」まで
必要な荷物をリュックひとつにまとめて
歩行に関係ない荷物は静岡駅のロッカーに預け
午前9時半、前回ゴールした由比駅を出発しました
心配していた雨の中を桜エビ通りをすすみます
由比といえばなんといっても「桜エビ」で超有名なところ
道の両側には桜エビの看板やお店が続きます
もちろん今日のお昼は「桜エビ」に決めています
由比川を渡ると当時の宿場の雰囲気残す建物が続きます
最初の訪問は「広重記念館」、二度目の訪問ですが
やっぱり広重の東海道53次の絵はすばらしい
記念館の向かいは幕府転覆を計画し失敗して自殺した
由比正雪の生家と言われるいま染物屋の正雪紺屋です
9年前に食べた桜エビの味が忘れられない店も
まだ昼食には時間が早すぎて覗くだけでパス・・・
↑ 9年前に訪れた店 ↓
また雨が降ってきました
まだお昼には早い、見るだけ・・・
しばらく歩くと次の「蒲原宿」に入ります
ここも宿場の名残りがいたるところに見受けられます
時間さえあれば由比、蒲原両宿場だけで十分に楽しまれます
ゆっくり歩いて12時前になりました
そろそろ昼食です
蒲原には肝心の桜エビの店が見つかりません
街道の名残を残す屋並みの中でもひときわ目立ったのが
黒塀に囲まれた蒲原宿本陣跡、ここには参勤交代の殿様が
泊まったのです
廣重の東海道53次シリーズ作品で傑作「蒲原夜の雪記念碑」
たまたま見かけたおまわりさんに聞いてみました
おいしい桜エビの店を紹介してほしいと聞かれた
おまわりさんもびっくりしたことでしょう
教えられた通りの店の桜エビかき揚げ丼はおいしかった!
おまわりさんの言うことにウソはありません
朝から何も食べずにガマンしてきたかいがありました桜エビで
元気もりもり、足取りも軽くなりました
いつのまにか雨も上がり次は吉原を目指します
急な坂道が延々と続きます
相棒はどんどん先にすすみます
置いていかれたら大変・・・待て!
富士市に入りました
やっと町が見えてきました
静かな田舎町が続きます
秋の花々、柿もみかんもたわわに実っています
なにを見てもあーいいなあ・・・
道端を花に釣られてうろうろしていると相棒はどんどん行きます
歳のせいでしょうか楽しくて
これが歩きの素敵なところです
9年ぶり、二度目のなつかしさと再会です
道はほとんど覚えているんです、不思議です
地図は9年前につくったHPのコピーが頼りなんですが
いまはアプリで東海道53次もあります
そんもの見て歩くのなら子供でも歩けます
はっきりいって迷うくらいが楽しいんです
小学生の見守りをしていた三人組のお年寄りと談笑した
バス停近くへ、あの人たちいるかな?
しばらく腰かけていましたが時間が早すぎたのか
会うことができませんでした・・・
あーそうか、あのお年寄りも卒業したんだな
(↓9年前、ここで出会った小学生の見守り人たち)
今日はいなかった
やがて巨木が見えてきました
岩淵の一里塚です
この一里塚は東海道53次の一里塚の中でもとくに思い出深い
一里塚で街道の両側にある大きな木が遠くからよく見えるんです
両側に一里塚が現存しているのは東海道でも数か所しかありません
江戸から37番目の一里塚で左側の塚は往時のままだそうです
少し行くと初老の男性が声をかけてきました
東京の人で今日は日帰りで吉原から蒲原まで行くとか
京都から来たというと西からとは珍しいですねと言われました
今日も朝から10人、いや、もっと多かったか
明らかに東海道を歩いていると思われる人たちに会いました
夫婦と思われるカップルも珍しくありません
声をかけるのはいつも自分の方からなんですが
かけられるのは初めて、うれしいですね
少しすすんで小休本陣・常盤家に寄りました
9年前は休館で入れませんでした
同年配のボランティアガイドさんが親切に説明してくれました
ここは吉原と蒲原の間にある間の宿で休憩所の役割をした所
晴れると富士山がよくみえる絶好の立地です
ここの主が富士川の渡船も取り仕切っていたようです
今日最大の楽しみは桜エビより富士川の橋から眺める富士山です
新幹線からも一番のカメラスポットです
しかし曇天で9年前と同じようになにも見えませんでした
富士川を渡るころからどうにも腰が重くなって
先を行く相棒と距離の差が開いてしまうようになりました
道端に座ってしばしおやつ休憩です
腰が痛みます
9年前は吉原宿の中心地まで歩きましたが
今日は5kmほど手前の富士駅をゴールと決めていましたので
ほぼ予定していた4時過ぎに到着しました
商店街を通って富士駅へ到着
JRで静岡駅に戻りホテルで休憩後、初日の完歩祝に
新鮮でおいしい静岡の魚を食べさせてくれる店で祝杯!
これも爺婆隊の楽しみになりました
明日はもっとも富士山に近い東海道を歩きます
晴れて富士山に会わせてほしい!
さあ、どうなりますやら・・・。
2009年6月19日に歩いたいた記です
→http://www.human-dy.com/tokaido-22.21.06.19.html
■
第24回「江尻宿」→「興津宿」→「由比宿」
「孫姫を訪ねて爺婆の東海道53次珍道中」の三日目(5日)は
昨日ゴールした18番江尻宿のあった清水駅から
17番興津宿、16番由比宿、15番蒲原宿へ向けてスタートしました
昨日の暑さがうそのように寒くて空も怪しいくもり空です
興津を目指して古い江尻の町並みを歩きます
今日も主な荷物はロッカーに預けて最小の荷物だけ
相棒がリュックを背負ってくれましたが
ここまでほとんど背負ってくれた相棒の足が気になります
それでも元気に歩いて行きます
鯉のぼりを風になびかせていく姿に地元の人の視線を感じましたが
この鯉のぼり、実は9年前に東海道を歩いた時にお供をしてくれた
鯉のぼりでこの道は二度目になるんです
街道には行く先々にお寺や神社がたくさんあります
立ち寄るには時間の限界がありますのでいちいち寄れませんが
道端にたたずむお地蔵さんや観音さんには手を合わせます
名もない石のお地蔵さんも旅の無事を祈ってくれています
相棒は丁寧に拝んでいきます・・・
もちろんランさんもさい銭を入れて手を合わせます
今日は東海道随一の景勝、さった峠が待っています
峠から眺める富士山は絶景ですが曇り空では無理でしょう
でもやっぱり期待します
興津が近づくと左手の高台に徳川家康ゆかりの清見寺
通りに沿って右側に興津坐漁荘があります
この二ケ所は前回、寄れませんでしたので楽しみです
興津は昔から避寒地として知られ明治以降は時の政治を
動かした元勲たちの別荘地として有名でした
その一人、井上薫の像を公園の一角に訪ねました
続いてすぐ近くの興津坐漁荘へ
坐漁荘は明治から昭和にかけ政治の舞台で活躍した西園寺公望の別荘で
現在の建物は再建されたもので実物は犬山の明治村にあります
建物内はボランティアからひとつひとつ丁寧な説明がありました
西園寺公望が昭和15年に亡くなった部屋(再建)で写真撮影
ランさんの生まれたのも15年、その部屋で不思議な縁を感じました
約1時間の滞在になり後の予定を大幅に変更することになりました
ここでも神奈川県から来ていた青年と親しくさせてもらいました
前回は休館日で入れなかった坐漁荘に寄れて本当に良かったです
前回パスした高台にある徳川家康ゆかりの清見寺を訪ねました
ここには家康が植えた梅がありますし
秀吉の韮山攻めで使った梵鐘もあります
ここから興津までしばらくは国道に沿って一本道をすすみます
相棒は道中で仕入れたみかんをしっかり持ってどんどん行きます
私ランさんはデジカメだけでお気楽ウォーキング・・・
さった峠のレストランはまだ遠く食事ができる店も見当たりません
仕方なくコンビニの店内でカップ麺とおにぎりで昼食をすませました
デザートは道端のベンチでミカン!
坐漁荘でとどまった1時間分は取り返せませんが
とにかく早くさった峠を越えてJR蒲原駅までは行きたい
13時25分に午後のスタートをしました
興津側からさった峠の上りは三つの道があり下道を選びました
皮肉にも上りの間10分ほど晴れ上がりましたが
頂上へ着いたときは完全に厚い雲に変わっていました
もちろん富士山の姿はどこにもありません
さった峠は7~8回目でよくわかっておりますし
相棒も二度目ですからまあいいでしょう
富士山は望めず寒い海風が駿河湾から吹き上げてくるし
遠く伊豆半島もかすんでいました
夫婦ずれか一組の男女のほかは誰とも会いませんでした
9年前の東海道歩きでは4月13日の69歳の誕生日に来ました
あの時も今日と同じような曇り空で寒かったのを覚えています
同じ場所でみかんのお供え?をして記念撮影をしました
長居は無用と峠を一気に由比へ下りました
ここには由緒のある建物がいまなおたくさん残っていて
当時の街道の雰囲気が残っています
JR由比駅に着くと15時半になっていました
一駅歩いて蒲原宿までは1時間余りですが17時になります
しかし青春18きっぷで大阪に戻るには早いほうがいいので
本日はここをゴールにしました
16時6分の電車で静岡駅に行き荷物を引き取り一服して
いよいよ新大阪までの長い旅が始まりました
在来線の車内で食事をするわけにはいきません
ビールも弁当もがまんしてわずかなお菓子の非常食で
静岡→掛川→豊橋→大垣→米原→野洲→を乗り継いで
新大阪駅についたのが22時58分でした
眠ればいいのですが乗り換えがあるので油断できません
乗り換えのたびに座席確保戦争もあります
さすがに疲れました。
この三日間の写真でわが相棒(愚妻)を多く登場させました
相棒君は長年の病の治療で平成12年から13年にかけて
約1年間を近所の店に行くのもままならない状況で過ごし
治療のかいがあって運よく快方に向かいました
以降、早朝ウォーキングで体力の回復につとめてきました
リハビリも兼ねてどこまで行けるかと東海道53次に挑戦
京都三条から3年かけて静岡の東まで歩いてきました
当時のことを思うと奇跡、ほんとうに信じられません
いまも病院通いを続ける身で決して安心できる状態では
ありませんがそれでも歩くことが楽しいのでしょう
歩いていなければここまで元気になっていなかったはずです
そういう意味ではウォーキングによって助けられました
この調子だと東海道53次の難所、箱根峠も越えそうです
そんなことでこのFBを訪ねて下さる方に何かお伝えできる
ことがあればとあえて家族を引っ張り出しております
写真嫌いでここに載せていることはまったく知りません
今回が夫婦合計152歳の最後のウォーキングになりました
次回からは153歳の爺婆隊として歩き続けます
どこまで記録が伸ばせますか、あきらめずに挑戦します。
●前回の作成HP 21.4.13
府中→江尻→興津→由比
http://www.human-dy.com/tokaido-21.21.04.13.html
■
「府中宿」→「江尻宿」
「孫姫を訪ねて爺婆の東海道53次珍道中」の二日目は
お江戸から19番目の府中宿をたって東へ18番の江尻宿に
向かいます
腰の状態次第で17番の興津宿まで行けるかもしれません
ルーチンにしている腰痛体操をやって二日目のスタート
ホテルを出て思わず出た言葉が ”暑い!”
予報では夏日になるとか・・・青空が広がります
静岡駅前の徳川家康と竹千代像に回り道したあと
駿府城に向かう通りにある徳川慶喜が隠棲していたという
幕府の代官屋敷だった「浮月楼」を覗いてみました
いまは料亭で敷地内には利用者以外は入れません
掃除をしていた年配のおじさんにいろいろ質問をしてみたら
特別にと庭へ入れてもらえました
慶喜は最後の20年間をここで過ごしたんだそうです
なかなか立派な庭園でもう少し早ければ桜もみられたはずです
昨日もそばまで行った駿府城跡へ
観光バスから続々とお年寄りの一団が東御門を入ります
お堀にそった遊歩道の弥次さん、喜多さんを訪ねました
駿府城跡の公園は満開の桜が待ってくれていました
この三日間で桜が残っていたのはここだけでラッキーでした
快晴の空を背景に家康像がさらに凛々しく見えましたね
天気はいいし桜も満開、しばらく園でのんびりしたあと
昨日ゴールした江川交差点から東海道に戻りました
午前中なのに暑すぎました
交差点のすぐ近く、ビル前に「西郷・山岡会見碑」があります
江戸無血開城の根回しが行われた歴史上に名を遺す場所です
西郷隆盛と山岡鉄舟が会見し江戸の無血開城と将軍慶喜の助命を
鉄舟が要請しその後に江戸の薩摩藩邸で西郷・勝海舟の会見が
行われたことは歴史で学びました
前回も休憩した曲金観音で旅の安全を祈願して休憩していたら
お年寄りの男性が二度も覗いては行ってしまいました
観音さんに用事があるのかな・・
怪しい二人ずれと警戒の見回りなのかなあと思っていたら
三度目に来たのでこちらから声を掛けてみました
地元の人で東海道を歩く人とよく話をするんだそうです
ランさんより一つ年上でなかなか元気な人で
むかしとろろ汁の丁子屋で働いていたと言ってました
話が尽きそうもなくて時間が気になりました
話を切り上げ少しすすんだJRのガードをくぐったところで
後ろから声がかかってきたので振り向くとさきほどの人が
自転車でおっかけてきました
何ごと?
と思ったら丁子屋のうちわと住所、氏名を書いたメモの入った
紙袋を手渡されました
そのためにわざわざおっかけてきてくれたのです
暑いので「うちわ」を使ってと持ってきてくれたのか
まさかね・・・気持ちがうれしかったです
ありがとうK爺ちゃん
写真と何か、送ります
今日も愉快な爺同士の出会いになりました
あまり暑いので昼食は休憩もかねてお店で済ませて
午後の一番暑い時間帯を日陰のない国道に沿って歩くのはきつい
草薙を通過して清水方面へどんどん歩きました
9年前に歩いて状況がわかっている私ランさんは気楽ですが
初めての相棒はしんどかったに違いありません
ひんぱんに信号で止められるので余計に疲れるのです
無人ショップのみかんで水分と栄養補給も昨日から三度目
相棒はみかんが好きで買うのはいいのですが消費しないと
大きいのが五個だと意外に重いんです
やがて江尻宿に入りました
なつかしいかっぱのちごばし(稚児橋)に着きました
欄干の四隅から河童の4兄弟が迎えてくれました
9年もたつのにかっぱたちはちっとも大きくなっていません
こちらはかなり老化が進行しているのにとぶつぶつ
江尻宿は旧清水市、いまは静岡市清水区です
予定は次の興津宿まででしたが腰もやや疲れて軽い痛みがあり
清水駅前で今日も早めに切り上げることにしました
まだ明日があります
清水はJリーグの清水エスパルスのホームタウン
駅前にはモニュメントや駅にもPRがされていました
サッカーの町なんですね
静岡市の昨日と同じホテルに戻って休憩をしたあと
軽く麺類で夕食をしようと静岡駅内の店に入って
しらす丼とうどんのセットを注文しました
出てきたうどんを見て驚きました
なに、これ大阪のうどんや!
店長さんらしいひとに聞いたら大阪のあの杵屋さん
なんや新大阪駅にもあるで
やっぱりうどんは大阪やなあと慣れた味に満足しました
しらす丼もおいしかった!とここは静岡に敬意を表して
昨日も今日もリュックはほとんど相棒が背負ってくれたので
ランさんはほとんど手ぶら、それでも腰が少々疲れました
明日は無理をしないで短く歩きましょう
静岡の最高気温が27・3度、暑かったはずです
日焼けして健康色になりました
久しぶりの3万歩、よく歩きました。
■
第22回「丸子宿」→「府中宿」
先日2日に長く続けてきた仕事に一区切りしたので
心身ともにリセットしたくて旅にでかけました
といっても特別な旅ではなく歩き旅なんです
5年計画で歩き続けている東海道53次の3年目になる
「孫姫を訪ねて爺婆の東海道53次珍道中」の歩き旅です
それを青春18切符を使って2泊3日で行くのです
初日のスタートは新大阪7時8分発で東海道線を米原へ
米原から→大垣→豊橋→浜松→で乗り換え4回で
静岡まで5時間12分の二人旅です
青春18きっぷとの付き合いは古くて大好きなんです
新幹線と違って次々と乗り下りがあり顔ぶれが変わるし
言葉も車内のつり広告も変わります
ただし乗り換え時間が少なくて座席確保には競争です
とくに激しいのが岐阜大垣でここは昔から変りません
でもそれも含めて楽しいんです
今回のスタートは前回ゴールの丸子宿の丸子橋から
とろろ汁で超有名な丁子屋のすぐ前からです
静岡駅からのバスを丸子橋で降りる時に思わぬことがありました
停車する前に席を立ったことで運転手さんに叱られました
さらにドアが開く前に料金(ICOCAカード)て払おうとしたら
ドアが開いてからにしてくださいときつく叱られてしまいました
こちらが悪かったんだから叱られたのは仕方ありません
あの運転手さんも気分を害したかもしれないなあ・・・
と相棒と話しながら丁子屋へ行きました
5ケ月ぶりの丁子屋は屋根の吹き替え中で入れません
ここで昼食の当てが外れました
カメラを持った人も残念そうに帰っていきました
今日は腰痛の回復を確かめながら試走、試歩?するので
行先は次の府中宿までと13時半にスタート
静岡市の中心市街地なので短い区間でゆっくり歩けます
この区間は9年前の平成9年2月に歩いています
その時に作成したHPです
http://www.human-dy.com/tokaido-20.21.02.07.html
楽しみにしていた安倍川からの富士山は見えませんでしたが
もう一つの楽しみ、名物の安倍川餅の店に寄りました
NHKの家族に乾杯で鶴瓶さんが訪ねていたのを知っていました
(写真が飾ってありました)
http://www.geocities.jp/…/topi…/kanpai/contents20170612.html
一見怖そうで実は優しいご主人としばらく話していたら
“帽子をとったほうが若く見えますね”といわれてびっくり
あわて帽子をとりましたが頭では乾杯、いや完敗です
前回のHPをコピーして地図代わりに使っていますが
それを見てもらうと会話が弾むんですね
だから毎回、歩くところはコピーを持っていきます
静岡市の市街地に入りぶらぶら、駿府城跡にちょっと寄って
夕食場所を探しておいて早めでしたがホテルに入りました
しばらく休憩して夕食場所と決めていた魚料理のT丸水産へ
約束していた店のオーナーさんが刺身二人前を一人前の料金で
サービスして最後まで気を使ってもらいました
東海道も毎回、思わぬ出会いがあって楽しいですね
静岡はさすがに魚が新鮮でおいしい
名物の静岡おでんの黒っぽいのが相棒には合わなかったみたいです
おでんの店があちこちと目立っていました
腰の調子も支障なく歩けてこれなら明日も大丈夫でしょう
旅の道中はスマホもFBもやらないことに決めていましたので
ほんとうにのんびりできて楽しかったです
明日はここ静岡の中心地から東へ清水から興津を予定していますが
夏日になると予報が出ているので無理をしないで歩きます
足も腰も大丈夫でしょう。