孫姫をたずねて爺婆の東海道53次珍道中記

=東京の孫娘に会いたくて京都三条大橋からお江戸日本橋まで5年かけて歩いています=

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第15回「二川宿」→「白須賀宿」→「新居宿」

誕生日ウォーキング二日目(14日)
前日の42000歩(相棒は48000歩)も歩いたので
朝はゆっくり10時、昨日のゴールJR二川駅を出発しました。
駅前から東海道はまっすぐに東へすすんで行きます。

二川は地域をあげて東海道の町並み保存に取り組んでおり
宿場の名残がかなり残っています。
家々や店にも二川ののれんがかかって花壇が迎えてくれます。

ここの本陣跡には当時の本陣を模して造られた建物や
旅籠屋が再現され内部まで公開されております。
また東海道のことがよくわかる「二川宿本陣資料館」は
東海道にある資料館の中で最も充実していると断言できます。
かっての東海道53次を学ぶにはここの資料館がおすすめです。

資料館の入り口で地元のおばちゃん三人グループとばったり
ラン外交を展開・・・頼む前に写真を撮ってあげるといわれた!
今日はこの後もいろいろな出会いが盛りだくさんありました。

二川宿をすぎて次の白須賀宿まではまったく面白味も楽しみもない
トラックばかりが走る1号線に沿って緩やかな道を延々と歩きます。

今日は疲れ対策で持ち物は豊橋駅のロッカーにあずけてきたので
リュックはひとつ、大きなリュックを背負ったのは相棒のほうで
こちらの腰痛をかばって一日のほとんどを背負ってくれました。

4kmほどすすみ1号線にわかれたところで愛知県から
とうとう静岡県に入りました。あっここは遠江!?
湖西市浜名湖の西にある町です。
浜名湖も近づいてきました。

道端で昼食休憩をして白須賀宿の静かな宿場通りをのんびりと通り抜けると潮見坂に到着、
そこは京都をスタートして始めてみる海、大きな太平洋です。
桜も残っていてすばらしい景色にしばらく休憩しながら、
写真をFBに投稿しました。

歩いてきた白須賀は海岸からかなり高台にあります。
白須賀宿はかってこれから下りていく海岸に近いところにありました。
宝永4年(1704)の大地震による津波で宿場の大半が流出したために
潮見坂上の現在地に宿場ごと移転したそうです。
東北の大震災でも町ごと移転が云々されていますが
ここはそれを実現させたようです。

急こう配の潮見坂をころがるように下りて
今日のゴールの新居宿をめざします。
時間は予定より少し早く進んでいて一安心!

しばらく行くと記憶によく残るなつかしい出会いが待っていました。
人ではなく「自販機」です。
9年前の2008年5月18日にこの場所で
京都をめざしていた男性に撮ってもらった写真の背景に
写っていた自販機がそのままありました。
(同じ場所の写真を下記にのせました)

おまえ、元気でよかったなあ・・・
ランさんのこと、覚えている?
と聞いてみました。

相棒がケラケラ笑っていました・・・・
ここで9年前の自分に再会するとはねえ・・・
これからもお江戸まで何度かそんな出会いが待っているかもしれません。

コースも終盤、リュックを背負った相棒がどんどん先を行きます。
差があいてくるとランニングのランさんに早変わりして走って追いつく
この繰り返しをしていよいよ新居の宿場に入りました。
午後4時、予定通り。

残るは難関の関所が待っています。
東の箱根、西の新居、といわれた新居の関所です。
ここを無事に通過しないと東海道は東へ進めません。
どんな厳しい取り調べが待っているやら・・・

ランさんは前回の通行手形があるのでパスはできると思いますが
相棒は手形をもっていないんです。
当時の関所の二大任務は歴史でも習ったとおり

「入り鉄砲」に
「出女」
とくに女の通行には厳しい取り調べがありました。

ここはランさんの笑顔外交で取り調べも無事にパスして
なんとか通してもらえました。
そしてJR新居駅へゴール、歩数は約26000歩でした。
公式の距離は15.4Km。
二日間のバースディ・ウォーキングはこうして無事に終えて
戻ってくることができました。

ちょうど9年前に歩いた街道を再び歩いて感じたことは
歩力、体力が明らかに落ちていることを実感
それは当たり前のことですが
三者の目で見ると多少は甘いかもしれないが
77+74=151歳でここまで歩けることはすごい!と思います。

これからどこまで歩けますやら正念場が続きます。

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