孫姫をたずねて爺婆の東海道53次珍道中記

=東京の孫娘に会いたくて京都三条大橋からお江戸日本橋まで5年かけて歩いています=


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第19回「掛川宿」→「日坂宿」→「金谷宿」

(続)東海道53次、二日目8日の記録
掛川宿から日坂宿を経由して金谷宿まで歩く予定だが
日坂と金谷の中間にある「小夜の中山峠」は
「箱根峠」、「鈴鹿峠」と並ぶ東海道の三大難所の一つ

果たして相棒があの急な坂道を歩けるやら・・・
自分の腰も完全ではないのでとりあえず日坂まで行こうと
遅めの10時に掛川駅をスタートした

掛川城に立ち寄ってから
前回苦戦した城下町特有の外敵の侵入を防ぐためにつくられた
新町の七曲りにチャレンジしたが記憶に残っていて難なく攻略

掛川を出ると日坂までは見所もなく足慣らしのつもりで歩いた
二人とも意外と歩けるので小夜の峠を行くことに決めた
12時、道端で赤飯の昼食、遠足気分で楽しい

時間を逆算して峠越えはゆっくり歩いても金谷まで行ける
どうしてもお参りしておきたかった事任八幡宮へ立ち寄った
ここで前回に買ったお守りはいまもカバンにつけてある

さあ、いよいよ日坂へ上っていく
宿場の雰囲気が残っていて各家にも昔の屋号がかかっている
いまは門だけが残っている本陣を後にしていよいよ峠へ

ここにきて意外な展開が始まった
急な坂を休憩しながらゆっくり上っていくのだが
常に先を行ったのが心配していた相棒だった

いつの間にそんなに歩けるようになったのか?
こちらの歩力が落ちたのかもしれないが新発見
恐れ入りました!

芭蕉西行も歩いて詠んだ句碑のある峠道は文学路みたい

峠の道の両側は茶畑が続く
曇り空でいい写真にならなかったが景色はすばらしい
作業中の老夫婦としばらく話しこんだ
80歳は超えているはず・・・今年最後の四番茶摘みとか

唯一残っている峠の茶屋を過ぎると
行基が開基した久延寺についた
掛川城主だった山内一豊関ヶ原に向かう徳川家康
茶の接待をしたとか、接待茶屋跡がある

ここから今度は菊川をめざして急な下りが始まる
ころがり落ちるという言葉がぴったりで膝に堪える
地元のご婦人に話しかけたらお茶の話を聞かせてくれた

しばらく下っていたらそのご婦人が車で通りかかって
柿を二つ差し入れしてくれた
うれしかったね!

下り終えるとこんどは菊川の石畳の上りが始まる
これが歩きにくいうえに腰に響くので最悪
滑らないように、転ばないように

上り終えてしばらく行くと今度は金谷の石畳が待っている
相棒が石を踏み外して骨折でもしたら大変
下り終えるまでひやひやの連続だった

とにかく無事に難所の小夜の中山峠を通り終えて
最初の計画通り金谷駅にゴールしてほっとした
二人ともさほどのダメージもなくて元気!

二日目の歩数  36,783歩
二日間の合計 約78,000歩

2015年4月に5年かけて孫姫の待つ江戸へ京を旅たって
半分の2年6ヶ月が過ぎて歩いた宿場も半分になった
残りの宿場が26でそれを後半の2年6ヶ月かけて歩く
いまのところ予定通りで爺婆隊の珍道中はまだまだ続く。

今日が爺婆隊151歳の最後のウォーキングになった
次回は152歳の新爺婆隊で再び東海道にデビューする。

*わが相棒が元気に歩いている姿を写真で初めて紹介しました。
東海道を京都から歩き始めてからも、まさか、お茶の静岡まで
歩いてくるとは想像もしていませんでしたので驚いています。
これも健康になりたいという思いが強かったからだと思います。
来月には後期高齢者になる相棒ですが日常の生活の中で意識して
歩いてきたことがここまで歩かせたと思います。
歩くことは万人に効く長寿薬です。
日々、少しずつでも歩くことを心がけて健康長寿を目指しましょう。
私たちは生きている限り日本橋をめざして歩き続けます。