孫姫をたずねて爺婆の東海道53次珍道中記

=東京の孫娘に会いたくて京都三条大橋からお江戸日本橋まで5年かけて歩いています=

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第24回「江尻宿」→「興津宿」→「由比宿」

「孫姫を訪ねて爺婆の東海道53次珍道中」の三日目(5日)は
昨日ゴールした18番江尻宿のあった清水駅から
17番興津宿、16番由比宿、15番蒲原宿へ向けてスタートしました

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昨日の暑さがうそのように寒くて空も怪しいくもり空です   
興津を目指して古い江尻の町並みを歩きます
今日も主な荷物はロッカーに預けて最小の荷物だけ

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相棒がリュックを背負ってくれましたが
ここまでほとんど背負ってくれた相棒の足が気になります
それでも元気に歩いて行きます

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鯉のぼりを風になびかせていく姿に地元の人の視線を感じましたが


この鯉のぼり、実は9年前に東海道を歩いた時にお供をしてくれた
鯉のぼりでこの道は二度目になるんです

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街道には行く先々にお寺や神社がたくさんあります
立ち寄るには時間の限界がありますのでいちいち寄れませんが
道端にたたずむお地蔵さんや観音さんには手を合わせます

 

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名もない石のお地蔵さんも旅の無事を祈ってくれています
相棒は丁寧に拝んでいきます・・・
もちろんランさんもさい銭を入れて手を合わせます

 

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今日は東海道随一の景勝、さった峠が待っています
峠から眺める富士山は絶景ですが曇り空では無理でしょう
でもやっぱり期待します

興津が近づくと左手の高台に徳川家康ゆかりの清見
通りに沿って右側に興津坐漁荘があります
この二ケ所は前回、寄れませんでしたので楽しみです

興津は昔から避寒地として知られ明治以降は時の政治を
動かした元勲たちの別荘地として有名でした
その一人、井上薫の像を公園の一角に訪ねました

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続いてすぐ近くの興津坐漁荘へ
坐漁荘は明治から昭和にかけ政治の舞台で活躍した西園寺公望の別荘で
現在の建物は再建されたもので実物は犬山の明治村にあります

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建物内はボランティアからひとつひとつ丁寧な説明がありました
西園寺公望が昭和15年に亡くなった部屋(再建)で写真撮影
ランさんの生まれたのも15年、その部屋で不思議な縁を感じましたf:id:yhyh1940:20181111154508j:plainf:id:yhyh1940:20181111154551j:plain

約1時間の滞在になり後の予定を大幅に変更することになりました
ここでも神奈川県から来ていた青年と親しくさせてもらいました
前回は休館日で入れなかった坐漁荘に寄れて本当に良かったです

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前回パスした高台にある徳川家康ゆかりの清見寺を訪ねました
ここには家康が植えた梅がありますし
秀吉の韮山攻めで使った梵鐘もあります

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ここから興津までしばらくは国道に沿って一本道をすすみます
相棒は道中で仕入れたみかんをしっかり持ってどんどん行きます
私ランさんはデジカメだけでお気楽ウォーキング・・・

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さった峠のレストランはまだ遠く食事ができる店も見当たりません
仕方なくコンビニの店内でカップ麺とおにぎりで昼食をすませました
デザートは道端のベンチでミカン!f:id:yhyh1940:20181111162705j:plain

 

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坐漁荘でとどまった1時間分は取り返せませんが
とにかく早くさった峠を越えてJR蒲原駅までは行きたい
13時25分に午後のスタートをしました

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興津側からさった峠の上りは三つの道があり下道を選びました

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皮肉にも上りの間10分ほど晴れ上がりましたが
頂上へ着いたときは完全に厚い雲に変わっていました

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もちろん富士山の姿はどこにもありません
さった峠は7~8回目でよくわかっておりますし
相棒も二度目ですからまあいいでしょう

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富士山は望めず寒い海風が駿河湾から吹き上げてくるし
遠く伊豆半島もかすんでいました
夫婦ずれか一組の男女のほかは誰とも会いませんでした

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9年前の東海道歩きでは4月13日の69歳の誕生日に来ました
あの時も今日と同じような曇り空で寒かったのを覚えています
同じ場所でみかんのお供え?をして記念撮影をしました

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長居は無用と峠を一気に由比へ下りました
ここには由緒のある建物がいまなおたくさん残っていて
当時の街道の雰囲気が残っています

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JR由比駅に着くと15時半になっていました

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一駅歩いて蒲原宿までは1時間余りですが17時になります
しかし青春18きっぷで大阪に戻るには早いほうがいいので
本日はここをゴールにしました

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16時6分の電車で静岡駅に行き荷物を引き取り一服して
いよいよ新大阪までの長い旅が始まりました
在来線の車内で食事をするわけにはいきませんf:id:yhyh1940:20181111170158j:plain

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ビールも弁当もがまんしてわずかなお菓子の非常食で
静岡→掛川豊橋→大垣→米原野洲→を乗り継いで
新大阪駅についたのが22時58分でした

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眠ればいいのですが乗り換えがあるので油断できません
乗り換えのたびに座席確保戦争もあります
さすがに疲れました。

この三日間の写真でわが相棒(愚妻)を多く登場させました
相棒君は長年の病の治療で平成12年から13年にかけて
約1年間を近所の店に行くのもままならない状況で過ごし
治療のかいがあって運よく快方に向かいました

以降、早朝ウォーキングで体力の回復につとめてきました
リハビリも兼ねてどこまで行けるかと東海道53次に挑戦
京都三条から3年かけて静岡の東まで歩いてきました

当時のことを思うと奇跡、ほんとうに信じられません
いまも病院通いを続ける身で決して安心できる状態では
ありませんがそれでも歩くことが楽しいのでしょう

歩いていなければここまで元気になっていなかったはずです
そういう意味ではウォーキングによって助けられました
この調子だと東海道53次の難所、箱根峠も越えそうです

そんなことでこのFBを訪ねて下さる方に何かお伝えできる
ことがあればとあえて家族を引っ張り出しております
写真嫌いでここに載せていることはまったく知りません

今回が夫婦合計152歳の最後のウォーキングになりました
次回からは153歳の爺婆隊として歩き続けます
どこまで記録が伸ばせますか、あきらめずに挑戦します。

●前回の作成HP 21.4.13
 府中→江尻→興津→由比
 http://www.human-dy.com/tokaido-21.21.04.13.html