孫姫をたずねて爺婆の東海道53次珍道中記

=東京の孫娘に会いたくて京都三条大橋からお江戸日本橋まで5年かけて歩いています=

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第8回「庄野宿」→「石薬師宿」→「四日市宿」

一泊二日で東海道53次の三重県関から四日市まで歩く二日目の
4月14日は前日の雨が上がり天気は回復してきた
25度の夏日になるというので雨も嫌だが暑いのはもっと嫌なんだ

昨日のゴール、JR加佐登駅から9時半にスタートした
しばらく街道とはかけはなれた田圃道をのんびりとすすむ
石薬師の一里塚を経ると一本道のかるた道にさしかかる

ここは歌人の佐々木信綱の出身地で信綱の句をいろはかるたにして
街道に立てかけてあるのを探して歩く・・・9年前もやった
今日は相棒が句碑さがし、ランさんは撮影係

途中で石薬師寺に立ちよる
この宿場はこのお寺を中心に栄えたらしい
童の地蔵さんが旅の安全を祈願してくれていた

石薬師から四日市へ向かう国道1号線にそってかなりの距離を行く
騒音と暑い日差しが厳しいが休むところはない
やっと探したカフェで昼食、店の夫婦と話し込んで50分もいた

前回苦労して探した采女の一里塚からさらにすすむと四日市
コンビナートが見えてきた
相棒がさかんに写真を撮っていた

昨日の寒さから一変して午後からのコースは暑さとの闘い
さすがに相棒も堪えているらしくてお互いに口数が少なくなる
あーアイスクリームが食べたい!これは一致!

そのアイスを確保したのは四日市についてコンビニだった
おそいよ、コンビニもトイレもないんだからね

街道に残る一本松はいまも健在だった
まるで東北の震災の一本松のよう
四日市の街道には「海抜○○メートル」の標識が多い
2~3メートル、これでは津波ではひとたまりもないな、と
東南海地震の話しをしながら歩いた
その夜、まさか熊本で・・・そんなことは思いもしなかった

四日市のゴール標識についたのが午後3時40分でほぼ予定通り
一度苦労して歩いた道だから不思議なくらいよく覚えていた
歩数 約28,200歩
二日間合計 63,000歩  
相棒は初めての二日間ウオーク、最後までよく歩いた

こうして二日間の「じーばーの東海道歩き」は無事に終わった
合わせて149歳、こんな歳で、東海道を歩けるのだから面白い
はたしてお江戸日本橋まで完歩できるかどうかはわからないが
1年前に京都三条大橋をスタートして5年で80歳の誕生日に
お江戸日本橋まで歩くと目標を決めて1年がたった
これから4年を歩き続ける
いま1歳の孫娘が5歳になって迎えてくれる
それまで4年、たっぷりと夢を見させてもらえる
ありがたい。
・・・熊本県、および周辺地域の皆様にはこのたびの地震災害の
お見舞いを申し上げます。また、お亡くなりになった方々には
謹んでお悔やみ申し上げます。