孫姫をたずねて爺婆の東海道53次珍道中記

=東京の孫娘に会いたくて京都三条大橋からお江戸日本橋まで5年かけて歩いています=

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第7回「 関宿」→「亀山宿」→「庄野宿」

ようやく暖かくなってきたので11月から休んでいた
「孫姫を訪ねて爺婆が東海道53次を行く」を再開した

再開日は4月13日、ランさんの76歳の誕生日
数えでは77歳で「喜寿」を迎えたということだ
その記念の日は東海道を歩いて旅先の宿場で一泊して
夫婦水入らずで祝おうと年の初めから目標に入れていた

早朝6時40分に自宅を出て前回ゴールの関西線の関へ
3時間近い長旅後、関宿を9時40分スタート
今日は亀山宿を通りゴールは庄野宿と決めていた

雨の関は人影もなく撮影前のセットと錯覚するくらい
亀山までの鈴鹿川沿いに続く桜並木は散ったばかり
東海道の1里ごと目印の一里塚があるが雨の中でも
野村の一里塚は遠くから目立って風格さえ感じた
このような樹木が残る一里塚は珍しくてその後をたどる
一里塚探しも街道歩きの楽しみの一つだ

城下町だった亀山宿は街道の雰囲気がいたるところに残り
城下町独特の複雑な地形は迷うと大変で慎重に歩いた
亀山白の天守閣はないが櫓が残っている

小雨と強い雨が繰り返し傘を閉じることが少なくて
足元はビショぬれ、靴の中は水が入って重くなった

あまりに寒いのでラーメン屋に飛び込んだ
初めて聞いた亀山ラーメン、有名なんだとか
亀山といえばローソク、会社の前を通り庄野宿をめざした

相棒のことが気になるので“足は大丈夫か”と聞くと
“なんともない”と疲れた様子もなかった
後ろから歩きをみてもきれいに歩いていたので一安心
あの年であれだけ歩けたら大丈夫、問題は明日だ

庄野に入ってとうとう神社で雨宿り兼休憩
持参の即席コーヒーで寒さしのぎをした
疲れると歩きの友、好物の羊羹がおいしい
実はこの神社、前回も雨宿りしたところで不思議な縁だ

当時の庄野は小さな宿場だったらしい
ここを有名にしたのは東海道53次の宿場を絵にした
歌川広重の「庄野の白雨」
この絵はたいていの人がみたことがあるはずだ

雨の中、ゴールのJR加佐登駅は午後4時半
歩数が約34,800歩
雨の中をよく歩いた
しかし、かなりエネルギーを消耗した

電車で亀山に戻りホテルで一泊
相棒と雨の街に出てレストランで「喜寿祝」の食事をした
夫婦で東海道を歩くことなど考えたことがなかったのに
こうして元気に歩くことができるのだからありがたい

古希を迎えた時も正直なところ「喜寿」は身近ではなく
意識したのは10年後の80歳をどう迎えるかだった
健康な体づくりに尽きると「体革命」と勝手に称して
真剣に強化策を講じてきたことがここまでは成功したと思う

東海道五十三次(庄野→四日市)

2016-04-30 16:37:36 | 東海道五十三次

(今日の一枚・東海道を歩く-庄野→石薬師→四日市)

一泊二日で東海道53次の三重県関から四日市まで歩く二日目の
4月14日は前日の雨が上がり天気は回復してきた
25度の夏日になるというので雨も嫌だが暑いのはもっと嫌なんだ

昨日のゴール、JR加佐登駅から9時半にスタートした
しばらく街道とはかけはなれた田圃道をのんびりとすすむ
石薬師の一里塚を経ると一本道のかるた道にさしかかる

ここは歌人の佐々木信綱の出身地で信綱の句をいろはかるたにして
街道に立てかけてあるのを探して歩く・・・9年前もやった
今日は相棒が句碑さがし、ランさんは撮影係

途中で石薬師寺に立ちよる
この宿場はこのお寺を中心に栄えたらしい
童の地蔵さんが旅の安全を祈願してくれていた

石薬師から四日市へ向かう国道1号線にそってかなりの距離を行く
騒音と暑い日差しが厳しいが休むところはない
やっと探したカフェで昼食、店の夫婦と話し込んで50分もいた

前回苦労して探した采女の一里塚からさらにすすむと四日市
コンビナートが見えてきた
相棒がさかんに写真を撮っていた

昨日の寒さから一変して午後からのコースは暑さとの闘い
さすがに相棒も堪えているらしくてお互いに口数が少なくなる
あーアイスクリームが食べたい!これは一致!

そのアイスを確保したのは四日市についてコンビニだった
おそいよ、コンビニもトイレもないんだからね

街道に残る一本松はいまも健在だった
まるで東北の震災の一本松のよう
四日市の街道には「海抜○○メートル」の標識が多い
2~3メートル、これでは津波ではひとたまりもないな、と
東南海地震の話しをしながら歩いた
その夜、まさか熊本で・・・そんなことは思いもしなかった

四日市のゴール標識についたのが午後3時40分でほぼ予定通り
一度苦労して歩いた道だから不思議なくらいよく覚えていた
歩数 約28,200歩
二日間合計 63,000歩  
相棒は初めての二日間ウオーク、最後までよく歩いた

こうして二日間の「じーばーの東海道歩き」は無事に終わった
合わせて149歳、こんな歳で、東海道を歩けるのだから面白い
はたしてお江戸日本橋まで完歩できるかどうかはわからないが
1年前に京都三条大橋をスタートして5年で80歳の誕生日に
お江戸日本橋まで歩くと目標を決めて1年がたった
これから4年を歩き続ける
いま1歳の孫娘が5歳になって迎えてくれる
それまで4年、たっぷりと夢を見させてもらえる
ありがたい。
・・・熊本県、および周辺地域の皆様にはこのたびの地震災害の
お見舞いを申し上げます。また、お亡くなりになった方々には
謹んでお悔やみ申し上げます。

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第6回「土山宿」→「坂下宿」→「関宿」

昨日、東海道五十三次の近江の国の「土山宿」から鈴鹿峠を越えて
伊勢の国の「坂下宿」、「関宿」まで相棒と二人で歩いてきた
その投稿がなければ行方不明になったものと捜索願いを出してほしいと
お願いをしておいたが無事に完歩、生還したので報告したい

朝7時に家を出てJR、バスを乗り継ぎ前回ゴールの土山宿田村神社
着いたのが10時2分、現地までだんだんと遠くなり不便になってきた
今日の道は8年前の平成7年6月に歩いているので迷うことはないはず
心配なのは相棒が上りと下りの続く道を最後まで歩いてくれるかどうか
それだけ、前回より30分おくれていざ出発!

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坂上田村麻呂を祀った田村神社へ旅の安全を祈願するために立ち寄った
(これから挑む難所の鈴鹿峠で山賊や事故に遭わないように)
西の難所といわれてきた鈴鹿峠までは主に国道1号線に沿って行く
延々と続く緩やかな上り道を自転車の若者が喘ぎながら上って行った

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鈴鹿峠のふもとで近江の国(滋賀県)から伊勢の国(三重県)へ入る
坂道を進み昼食場所に決めていた高さ5.4mの巨大な万人講常夜燈の
そばで早目の昼食、予定していた時間で進んでいたのでまずは一安心!

 

ここで京都を目指して東海道を歩いてきたという東京の夫婦に出会った
60歳半ばくらいに見えたが40日もかかって歩いてきたと話していた
今日も何組かの夫婦らしい年配の二人組と出会ったが素敵だなと思った

最近は夫婦でウォーキングを楽しむ人が多いが健康的でほほえましい
歳を重ねていくと夫婦二人で歩けることがどんなにありがたいことか
夫婦の足はひとつ、どっちかの足が止まったら(歩けなくなったら)
二人の足は止まったも同然、このことは後に続く人にとくに伝えたい

鈴鹿峠に入った
相棒が木の根っこにつまずかないようにここばかりは後ろが気になる
頂上の鏡石のある所から下をのぞく、おー高所恐怖症には恐ろしい
いまは峠の中腹まで道路ができて歩く人などいないし交通機関もない
下り(坂下からは上り)に馬の水飲み場が残っている
ここを上る馬にも水分補給が必要なほど険しかったんだろう

実は鈴鹿峠は土山側から歩くと難所という程ではなくて誰でも歩ける
関、坂下側からは急坂を上ることになるが歩きなれた人なら問題ない
その点、東の「箱根峠」は上り、下りともきつかった
鈴鹿とは比較にもならない、順調なら4年後に行くと思うが楽しみだ

峠を下りると渓谷にそって「坂下宿」まで色づいた秋を満喫できた
経過時間は8年前より10分短縮、休憩とか見学時間が違うので
決して足が速くなったというわけではない
坂下宿は江戸時代、参勤交代の大名などが鈴鹿越えする前に宿泊した
宿で東海道でも有数の規模を誇った宿場だったらしい
いまは小さな集落があるのみで当時の面影はあまりない

相棒は疲れもみせず写真を撮っているとどんどん先に行ってしまう
運動とはまったく無縁、無関心、むしろ体力はなく3年前は1年ほど
寝たきり状態だったのでそのまま「寝たきり」になったらどうなる?
と心配というより恐怖心が先だった時のことが信じられない

何歳になっても歩ける!
75と73のラン夫婦がこうして元気に歩いていることを伝えたい
ウォーキングは男女差があまりないスポーツだと思っている
むしろ持続力がある女性は歩くことに向いている

坂下では楽しみにしていた「鈴鹿馬子唄会館」へよった
8年前よった時に東海道を歩く人が記帳していたノートに自分の名前を
書いたので探して相棒にみせたかったがいたずらが多くてやめたそうだ

馬子唄会館前で映画の二十四の瞳のロケに使ったという廃校になった
小学校を背景に写真を撮った
食事した場所とこの会館以外は休憩なしで歩き続けたのだからすごい

坂下宿から関に下っていく道から眺める秋もすばらしかった
最終の西の追分からいよいよ「関宿」に入った
関が初めての相棒はまるで映画のシーンみたいと感嘆していた

午後3時5分、関宿の「地蔵院」前に到着した
8年前とほぼ同時刻着、30分も遅く出発していたのであの時よりも
30分も早く到着したことに驚いた
歩数 約33,000歩 / 距離 21.2km / 時速 4.9km

予定より早く着いて時間に余裕ができたので1時間半後の列車に乗る
ことにして関宿のさわりを相棒に案内した
ぜんざいを食べたりぶらぶらしてJR関から16時48分に乗車して
二度乗換、2時間半かけて戻ってきた
次回は今日のゴール、地蔵院前を出発して「亀山宿」から「庄野宿」
まで今回とほぼ同じ距離を行く

案じていた府知事選の投票にも間に合った
相棒は今朝も早くから洗濯をしていた、ぴんぴんしている
ありがたい!

◎歩きたい、歩かせたいと思われるご両親をお持ちの方がおいでなら
ランさんの「らくらく健康ウォーキング」にお越しいただきたい
もちろん、どなたも結構、セミナーや仕事には投資を惜しまない人も
自分の「健康投資」には無関心な人が多い、余計なお節介だけど
老いてくる親の健康の半分は子供の責任でもあると思っている。

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第5回「水口宿」→「土山宿」

昨日、5回目になる爺婆コンビの旧東海道53次歩きで前回に続き
滋賀県の「水口宿」から「土山宿」まで約12kmを歩いた

先週の淀川堤防ランニングで左足底に激痛が発生して走れなくなった
ことをここに投稿した
あれから痛みは和らいできたものの左足をかばい右足に負担をかける
歩きになったので右足まで同じ個所が痛み出してきた
スポーツ選手がよくやる足底筋膜炎だそうでマラソンの有森さんも
苦しんだらしい

さしあたって来月の15日に迫ってきた神戸マラソンをどうするか
走れる状態ではないが東海道を歩いてみて最終判断することにして
靴下を二枚重ねし底のクッションの厚いシューズを履いて出かけた

天気にも恵まれ秋の近江路は目にも心にも優しくて休憩をしながら
水口から茶畑の続く土山までのんびりと歩いた
足にさほど問題なく歩けたがそれでも12kmがせいいっぱいだった
距離が延びれば痛みは増すはずだから走るのはとても無理と判断して
神戸マラソンは潔く棄権することにした
残念だが治癒を最優先して次のチャンスを積極的につくればよい!

道中では相棒が何度も「大丈夫?」と気にして声をかけてくれた
これまでとは「立場」が完全に逆転してなんともお恥ずかしい
歳のせいだと思うがやっぱり元気な相棒の存在はありがたい !

写真を撮ることなどなかった相棒が立ち止まっては秋の景色を撮り
ドングリを拾い野生?の柿を失敬して街道歩きを満喫していた
ほとんど寝たきりだった3年前の相棒がここまで変身するとは!

施設のボランティアに行く日も増やして忙しそうにしているのも
体に自信が戻ったからだと思うがウォーキングが良薬になっている
ことは間違いない

歩きを見ていると20kmまでなら行きそう
相棒73
よく復活したよ

次回はいよいよ難所の「鈴鹿峠」越えだ。

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第4回「石部宿」→「水口宿」
昨日、旧東海道五十三次ウォークで相棒と滋賀県の51番石部宿から
50番の水口宿まで歩いてきた
7月に歩いたあと猛暑の8月はパスしたので久しぶりの東海道だったが
稲は黄金色に実り稲田を取り巻くように彼岸花が鮮やかに咲いて
街道はすっかり秋の装いをしていた

今にも雨が降りそうなJR石部駅から三雲までは街道の雰囲気が漂う
家並の一本道を蒸し暑さと闘いながら歩いた
この間には珍しい天井川が二か所あり川の下にあるトンネルを通ると
涼しい風が通り抜けて相棒は珍しがっていた

JR三雲駅前に着いたころからとうとう降ってきたので雨宿りと昼食を
兼ねて寿司屋に入ってしばし雨宿りをした

強い雨は石部と水口の中間にあたる横田橋を渡るまで降り続いた
橋の下を流れる野洲川は水かさがまして濁流となって流れていた
かってこの川は渡しがあったそうでその目印として高さ10mもある
大きな常夜灯がいまも立っている
記憶する限り東海道に残る常夜灯では一番大きいはずだ

水口宿までの雨上がりの田園風景が続く道は単調でこれがまた疲れる
小川をのぞいてみると清流にザリガニがたくさんいた
このあたりは水が豊富できれいなんだ

水口宿の中心地は次回に歩くことにして水口城跡を訪ねてみた
そして宿場の中心に入るからくり時計前でゴールにした
皮肉にもそこに着いた途端、晴れてきたのにはまいったね
なんとか予定通り第50番石部宿から49番の水口宿まで完歩した
相棒も3回目で街道歩きに慣れてきたのかマイペースで最後まで
しっかりと歩いていた

金婚のお祝いをいただいた翌日に元気で歩ける幸せをかみしめた
素敵な一日だった。

歩数は 27.000歩 
距離は 18.9km
消費カロリーは 1017kcal
(帰還して関東の災害を知り気楽に歩いている場合ではなかった)

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