孫姫をたずねて爺婆の東海道53次珍道中記

=東京の孫娘に会いたくて京都三条大橋からお江戸日本橋まで5年かけて歩いています=

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第10回「宮宿」→「鳴海宿」

9日~10日の二日間、相棒と東海道53次ウォーキングに行った

お江戸日本橋をめざして今回からいよいよ東海地区の街道を歩く

初日の9日は「宮宿」から「鳴海宿」の有松まで行き一泊して

二日目は有松から「知立宿」までを予定

この歩程は8年8ケ月前に歩いた時と同じで距離的には長くはない

 

9日、青春18きっぷを使って新大阪から米原まで行き

ここからJR東海で大垣乗り換え、名古屋を通過して熱田で下車した

駅から少し歩いたところに熱田神宮があるのでこれから行く東海道

安全祈願をしておきたいと思った

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 熱田神宮

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こんな塀があった

「信長塀」織田信長桶狭間出陣の際に熱田神宮に願文を奏し大勝したので

そのお礼として奉納した塀で土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねている。

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今日の出発地点、宮宿の七里の渡し跡は8年前と変わっていなかった

かって桑名からここ宮までは海上七里を渡し船で旅人は渡っていた

いまは埋め立てで海岸線ははるか沖合にあるが運河のようになっていて

新幹線も近くをはしっている

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12時、ここから名古屋の東海道を東に向けて1歩を踏み出した

あいにく?の快晴、空は高く青くてきれいだがなにしろ暑い

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明日も歩くので寄り道は最小にして疲れを持ち越さないようにしょうと

日陰のない道をとことこ・・・幸いに道は覚えていて心配はない

一応、前回作成したHPがあるのでコピーしてそれを地図代わりに

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やはり暑さが堪える

少しでも影になるところを探して歩く

人に会うことはない

水分補給を繰り返すのでタオルがかかせない

困るのはトイレ、コンビニが頼りだがなかなかないんだ

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暑さしのぎと昼食で喫茶店に入りしばらく休憩して一番暑い時間帯を

もくもくと東へ向かいやっと午後2時半に笠寺観音に着いた

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ご朱印をもらって休憩していると高齢のおじいさんが話しかけてきた

お寺のことについて延々とご高説、こちらは疲れてゆっくりしたいのに

ありがた迷惑、うまく話を遮るようにして横道から街道へ戻った

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近くの笠寺一里塚の大木は前回の1月は葉を落として枯れているのかと

思ったくらいだが青々と茂った葉をつけて元気いっぱいだった

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このあたりから腰痛が徐々に気になり始めてスピードダウン

相棒から労られるようになり面目ない!

 

鳴海宿の面影を残すものはほとんど残っていない

宿場の中心、本陣跡も8年前とまったく同じで立て札がたったまま

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こういう時はひとりより連れがいるほうが気分的に安ど感がある

結局この日は最後まで腰の調子・・患ったヘルニアだろうと思った

コンビニを見つけると涼しさと休憩にオアシス代わりに利用した

水分補給もたっぷり、やっぱり暑さは体力を消耗させたね

 

東海道のモニュメント↓

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坂道が続く、もう少しやで!と相棒を励ますが、ほんとうはこちらがしんどいんだ。

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ようやく鳴海に入り有松に向かうころから日が傾きはじめてやれやれ

有松に入るとそこは建物保存地区で街道の名残のある町並みすばらしい

有松は「絞り」で有名なところ、多くの建物は絞り問屋だったらしい

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予定通り有松に到着して初日はここで終えた

あすはここから知立まで歩く

今日の宿泊地の名古屋へ名鉄有松から向かう。

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名古屋駅から地下鉄で宿泊ホテルへ

ホテルで紹介された魚料理のうまい店で思い切り食べて飲んだ

 

今日は昼食を含めて座ったのは3ケ所だけで結局は歩き通したが

婆さまの相棒がぴんぴんしていたのにはほんとうに驚いた

二日目は距離は長いので安心は禁物、記録は明日に投稿したい。

今日の歩数は → 約28、500歩 

合わせて149歳、よく歩いた。

爺婆の珍道中お伊勢さん参り編

昨日は東海道53次を桑名まで歩いて四日市に泊まりました
今日の二日目はお伊勢さん参りをすると決めていたので
生憎の小雨でしたがお伊勢さんにお参りをしてきました

伊勢神宮は日本人の心のふるさととして特別な存在で
古くから「一生に一度は行きたい」と言われてきましたが
我々にはいつお参りしたか思い出せないくらい昔のことです

東海道日本橋を目指すなら少しくらい寄り道をしてでも
お伊勢さんにお参りをして旅の安全を祈願して行きたいと
今回は東海道とセットにしてお参りすることにしたのです

伊勢路は朝からあいにくの雨でしたが
下宮にお参りをして内宮までは昔の伊勢参りの道だった
古市参宮街道を時間をかけて歩いてみました
いまこんな街道を歩く人は一人もおりませんでしたが
すばらしい出会いや発見があって楽しい道中でした

内宮の宇治橋鳥居の前にたたずんだ時は鳥肌がたちました
俗界と聖域との境になる鳥居をくぐり清流の五十鈴川にかかる
宇治橋を渡るとそこは「聖地」でした
天照大御神が祭られている正宮の前にたつと
雑念が払われるようで特別な感情になりましたね

風邪気味でずっと続いていた咳が完全にとまってしまいました
カラダいっばい気をもらったのかも知れません。

おかげ横丁で食べた好物の赤福伊勢うどんがおいしかった!
伊勢神宮をはじめ電車、道路、どこもかしこもお巡りさんが
いっぱい、それも全国のおまわりさん
伊勢サミットの厳戒態勢はすごかったです。

今日の歩数 24,000歩
二日間の珍道中も無事に終わりました。

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第9回「四日市宿」→「桑名宿」

東海道53次 爺婆の珍道中昨年の4月、京都三条大橋から

東京日本橋をめざして東海道53次

「孫姫を訪ねて爺婆の東海道53次を行く」を夫婦でスタートして

1年あまり、15日、やっと三重県の旧桑名宿まで完歩しました。

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5年かけ東京オリンピックの2020年、80歳の誕生日に孫が待つ

日本橋にゴールするのを目標にしておりますが

なにしろ二人合わせてただいま149歳の高齢者コンビですから

日本橋に着くのが早いか

命が尽きるのが早いのか

明日のことはわからないぎりぎりの年齢です。

よくぞ、桑名まで!と夜はビールで乾杯しました。

明日はせっかくの機会ですからお伊勢さんにお参りします。

 

四日市宿」→「桑名宿」の記録は以下の通りです。

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今回は京都を出て9回目で旧四日市宿から旧桑名宿を目指して9時半、

スタートして快晴の空の下をすすみます。

四日市にはかっての宿場町の面影を残すものはほとんどありません。

市街地を外れると右手、海側にコンビナートの建物が目立ちます。

電柱には「海抜×メートル」の表示が目立ちますが

ほとんどが1.5~3メートルの範囲内で津波なら町中が全滅?

これは桑名に移動してもさほど変わりありませんでした。

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街道歩き(もちろん東海道も)の楽しみはかって多くの旅人や大名行列

歩いて刻まれた足跡をひとつひとつ訪ねて行くのが最高の楽しみです。

何が彫り刻まれたのやら判別できない道端の石からは長き歴史を感じ

旅人を見守った顔もわからないお地蔵さんには一礼をしてすすみます。

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四日市は軒先に<ここは東海道四日市>と書かれた小さな木の表示板が

道案内をしてくれて大助かり、これがないと迷ってもわかりません。

 

暑いので水補給をしながらさして変化のない道をすすんでいくと運よく

食堂があったので日陰とトイレと昼食を兼ねて40分を過ごしました。

 

ちょうど正午過ぎ旧西富田村で高い石の柱の「富田一里塚の碑」に到着

さらに炎天下をすすみ朝明川の手前の小さな公園でしばらく休憩しました。

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朝明橋を渡ると街道を行き来する人の街灯となった大きな常夜灯があります。

東海道には結構、大きな常夜灯がいまでも残っていますが興味がなければ

意外と気がつかないかもしれません。

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かっては松並木が続いたという道もいまは桜並木になって続いています。

それもて日陰になって暑く助かりました

相棒は頭からすっぽり日焼け対策、うしろから相棒の足取りを見ながら

すすみますがこの婆さま、意外とよく歩くので助かりました。

軽量級で足腰へ負担が少ないからか73歳、歩き歴5~6年でよく歩きます。

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三重郡朝日町は古い民家が続きラインの引かれた車道横を歩くのでそれは怖い!

桑名藩菩提寺だった浄土真宗の「浄泉坊」は山門に三つ葉葵の紋が入り

徳川家との深いつながりがあったようで参勤交代の大名も駕籠から降りて一礼を

して通ったとか、ちょっと寄らせてもらった。

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近鉄朝日駅、ここで9年前の11月に写真を撮ったので今回も同じ場所で撮って

みましたが、あー、やっぱりそれなりに歳をとっています。

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(↑2007.11.23)

桑名市に入るとここはかっての宿場町の雰囲気と史跡がかなり多く残っていて

石柱を頼りにひとつひとつ訪ね歩くのは意外と難しくて時間がかかりました。

城下町であったためか迷路のように曲がりくねった道になっているんです。

ゴールの七里の渡し跡に着いたのが午後4時20分

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かって東海道を行き来する人は、ここ七里の渡しと名古屋の宮の渡し間を

海路を使っていてそうでその距離が七里あったからそう呼んだそうです。

四日市をスタートして7時間近くもかかりました。

日陰のない暑い街道は熱中症の危険との闘いでした。

本日の歩数は約36,000歩 。

これで京都、滋賀、三重を歩いて次回から愛知県の東海道へ移動します。

 

喜寿のお祝い
   輝いて生きる

九州では震災の被害が時の経過とともに甚大になっている最中に
個人的な祝い事を催し、投稿すべきかどうか試案しましたが、
古い仲間がサプライズの「喜寿」のお祝いをしてくれました。

久し振りの懇親会だろうと指定された会場へ行くまでは

まったく気が付かず気楽な格好をして行ってびっくり!

最近は「喜寿」も満年齢で祝うと聞いていたので

76歳を迎えたばかりの自分には予想もしていませんでした

次のコメントは、仲間の尊敬している医師の谷口先生が
FBに投稿されているものをお借りしてきました。
私にとっては最高のことば、まだまだ老いぼれずに
人生を明るく楽しく生きていこう!
そんな気持ちにさせていただくのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「人生は歩くこと」
今日は12年前に吉本の木村政雄さんが主催された有名塾の同級生の
山崎さんの喜寿のお祝いでした。
世の中には、目標にしたいほどの素敵な人がいる。
77歳、経営コンサルタントで現役
今も毎日歩いてらっしゃる。
55歳の時に自分の不健康さに気づき、毎日欠かさず夜歩きをされ、
足腰を鍛え、熊野古道を制覇、 東海道53次も制覇された。
歩くことは当たり前のことだか、それを20年近く続けられている
鉄人の言葉は心に響きます。
「人生は歩くこと」
私も尊敬すべき大先輩を見習いたい!
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九州・熊本の災害で亡くなられた方に多くの高齢者がいらっしゃる
さぞ、無念なことだろうとお察しをし、その分、自分がしっかり
生きることを約束して、お悔やみ申し上げたいと思います。

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第8回「庄野宿」→「石薬師宿」→「四日市宿」

一泊二日で東海道53次の三重県関から四日市まで歩く二日目の
4月14日は前日の雨が上がり天気は回復してきた
25度の夏日になるというので雨も嫌だが暑いのはもっと嫌なんだ

昨日のゴール、JR加佐登駅から9時半にスタートした
しばらく街道とはかけはなれた田圃道をのんびりとすすむ
石薬師の一里塚を経ると一本道のかるた道にさしかかる

ここは歌人の佐々木信綱の出身地で信綱の句をいろはかるたにして
街道に立てかけてあるのを探して歩く・・・9年前もやった
今日は相棒が句碑さがし、ランさんは撮影係

途中で石薬師寺に立ちよる
この宿場はこのお寺を中心に栄えたらしい
童の地蔵さんが旅の安全を祈願してくれていた

石薬師から四日市へ向かう国道1号線にそってかなりの距離を行く
騒音と暑い日差しが厳しいが休むところはない
やっと探したカフェで昼食、店の夫婦と話し込んで50分もいた

前回苦労して探した采女の一里塚からさらにすすむと四日市
コンビナートが見えてきた
相棒がさかんに写真を撮っていた

昨日の寒さから一変して午後からのコースは暑さとの闘い
さすがに相棒も堪えているらしくてお互いに口数が少なくなる
あーアイスクリームが食べたい!これは一致!

そのアイスを確保したのは四日市についてコンビニだった
おそいよ、コンビニもトイレもないんだからね

街道に残る一本松はいまも健在だった
まるで東北の震災の一本松のよう
四日市の街道には「海抜○○メートル」の標識が多い
2~3メートル、これでは津波ではひとたまりもないな、と
東南海地震の話しをしながら歩いた
その夜、まさか熊本で・・・そんなことは思いもしなかった

四日市のゴール標識についたのが午後3時40分でほぼ予定通り
一度苦労して歩いた道だから不思議なくらいよく覚えていた
歩数 約28,200歩
二日間合計 63,000歩  
相棒は初めての二日間ウオーク、最後までよく歩いた

こうして二日間の「じーばーの東海道歩き」は無事に終わった
合わせて149歳、こんな歳で、東海道を歩けるのだから面白い
はたしてお江戸日本橋まで完歩できるかどうかはわからないが
1年前に京都三条大橋をスタートして5年で80歳の誕生日に
お江戸日本橋まで歩くと目標を決めて1年がたった
これから4年を歩き続ける
いま1歳の孫娘が5歳になって迎えてくれる
それまで4年、たっぷりと夢を見させてもらえる
ありがたい。
・・・熊本県、および周辺地域の皆様にはこのたびの地震災害の
お見舞いを申し上げます。また、お亡くなりになった方々には
謹んでお悔やみ申し上げます。